「メンタルヘルス不調の社員が労災認定された。その影響でメリット制による保険料が700万円以上上がるかもしれない——会社はその労災認定決定を裁判で取り消せるのか?」
こんな疑問を持つ経営者・人事担当者は少なくないでしょう。
労働者災害補償保険(労災保険)には、事業所ごとの災害発生状況に応じて保険料率が増減する「メリット制」があります。労災認定が増えると保険料が上がるため、一部の使用者は労災認定決定そのものを裁判で争おうとすることがあります。
今回は、この問題について最高裁判所が明確な判断を示した一般財団法人あんしん財団事件(令和6年7月4日・最高裁第一小法廷判決)をわかりやすく解説します。
・労災保険のメリット制とは何か
・使用者(会社)は労災支給決定の取消訴訟を起こせるか
・あんしん財団事件で最高裁が示した「独立性の原則」
・使用者が保険料増加に不服を持った場合の正しい争い方
・経営者・人事担当者が知っておくべき実務ポイント
労災保険の「メリット制」とは?
まず、この事件の背景にある「メリット制」について説明します。
メリット制とは、事業所ごとの過去の労災発生状況(収支率)に応じて、労災保険料率を一定の範囲で増減させる仕組みです。継続事業の場合は最大±40%の範囲で料率が変動します。
・労災が少ない事業所 → 保険料率が下がる(メリット)
・労災が多い事業所 → 保険料率が上がる(デメリット)
適用対象の主なもの:
・継続事業:労働者数が概ね100人以上(または20人以上100人未満で一定の要件を満たす事業)
・建設・林業:確定保険料が40万円以上の事業
労災保険料は事業主だけが全額負担するため、労災認定が増えると会社のコストに直接影響します。
このため、メリット制の適用を受ける一部の使用者が「労災認定を取り消すための訴訟を起こしたい」と考えるケースが生まれます。
あんしん財団事件の概要
どんな事件だったのか
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件名 | 一般財団法人あんしん財団事件 |
| 裁判所・判決日 | 最高裁判所第一小法廷・令和6年(2024年)7月4日 |
| 当事者 | 使用者X(メリット制適用事業所)と国Y |
| 問題の概要 | 労働者Aのメンタルヘルス不調(精神障害)が業務上と認定され労災保険給付が支給された。この認定によりXの保険料が約759万円増加する見込みとなったため、XはAへの支給決定の取消を求めて国Yを訴えた。 |
| 争点① | 使用者は労災支給決定の取消訴訟を提起する原告適格を有するか |
| 争点② | 保険料認定処分の取消訴訟において、支給決定の違法(給付要件不充足)を主張できるか |
最高裁はどう判断したか
①【労災支給決定の取消訴訟】使用者に原告適格はない
労災保険の給付決定は「被災労働者の迅速な保護」を目的とするものであり、使用者(会社)の利益を保護する規定ではない。したがって、使用者は労災支給決定の取消訴訟を提起する原告適格を有しない。
②【保険料認定処分の取消訴訟】支給決定の違法を主張することは可能
使用者は、保険料認定処分(メリット保険料の確定)の取消訴訟において、「その前提となる支給決定が給付要件を満たしていなかった」という主張をすることができる。支給決定と保険料認定処分は独立した法律関係であり、支給決定を取り消さなくても保険料処分を争える。
「独立性の原則」とは何か——二つの処分の関係を整理する
この判決の最重要ポイントは、「労災支給処分」と「保険料認定処分」は互いに独立した別々の法律関係であるという考え方(独立性の原則)です。
| 処分の種類 | 目的 | 使用者が直接争えるか |
|---|---|---|
| 労災支給処分 (労働者への給付決定) |
被災労働者の迅速な保護・給付 | ❌ 争えない (原告適格なし) |
| 保険料認定処分 (メリット保険料の確定) |
適正な保険料の徴収 | ✅ 争える (支給決定の違法も主張可能) |
なぜこのような二重構造になるのでしょうか。
労災保険は、事故や疾病にあった労働者を迅速に保護するための制度です。使用者が「労災ではない」と主張して給付決定を直接争う訴訟を起こすことを認めると、労働者への給付が遅れてしまいます。この点で、労働者保護が優先されます。
一方、保険料の問題は使用者の財産的利益に直結するため、使用者には保険料処分を争う権利があります。そして、その中で「業務起因性がなかったのでは」という主張をすることも認められています。
使用者(会社)が保険料増加に不服を持った場合の正しい流れ
この判決を踏まえると、メリット制の適用を受ける使用者がとるべき正しい対応は次のとおりです。
Step 1:保険料認定処分(確定保険料通知)を確認する
メリット制により増加した確定保険料の通知を受けたら、処分の内容を確認する。
Step 2:審査請求(行政不服申立て)
保険料認定処分に不服がある場合は、都道府県労働局の歳入徴収官に対して審査請求を行う(処分を知った日の翌日から60日以内)。
Step 3:取消訴訟
審査請求の裁決に不服がある場合は、保険料認定処分の取消訴訟を提起できる。この中で「労災給付の前提となる業務起因性がなかった」と主張することが可能。
⚠️ 注意:労災支給決定そのものを取消訴訟の対象にすることはできません(使用者に原告適格なし)。
経営者・人事担当者が知っておくべき実務ポイント
① メンタルヘルス不調の予防こそが最善策
この事件のきっかけは、労働者Aの精神障害(メンタルヘルス不調)の労災認定でした。
業務起因性が認められると、メリット制適用事業所では保険料が大幅に増加します。それを防ぐためには、訴訟で争うより、過重労働・ハラスメントの防止、ストレスチェックの実施、相談窓口の整備など、メンタルヘルス不調の根本予防に取り組むことが最も重要です。
② 安易な「労災でない」主張は逆効果
今回の最高裁判決で、使用者が給付決定を直接争う訴訟には原告適格がないことが明確になりました。
また、そのような姿勢は労働者との信頼関係を損ない、職場環境をさらに悪化させるリスクもあります。不服があるなら、正規の手続きである保険料認定処分への審査請求・取消訴訟を通じて争うべきです。
③ 社会保険労務士への早期相談が重要
労災が発生した場合、使用者がとるべき対応は多岐にわたります。
- 労災保険の手続きの適正化
- 再発防止策の策定と記録整備
- メリット制保険料への影響確認
- 不服申立ての要否判断と手続き
これらについて、労災発生後できるだけ早く社会保険労務士に相談することが、後からの対応コストを大幅に下げることにつながります。
まとめ
✅ 労災支給決定の取消訴訟:使用者に原告適格なし
→ 労働者保護を目的とする給付決定を、使用者が直接争うことはできない
✅ 保険料認定処分の取消訴訟:使用者は争える
→ 保険料処分の段階で「業務起因性なし」という主張が可能
✅ 二つの処分は独立した法律関係
→ 給付決定と保険料認定は別々の手続きで争う
✅ 根本的な対策はメンタルヘルス不調の予防
→ 職場環境整備・過重労働防止・ハラスメント対策が保険料増加の抑止につながる
労災保険のメリット制や保険料に関するお悩み、職場のメンタルヘルス対策について、お気軽にご相談ください。

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